ホーチミンでベトナム戦争を学ぶ

シンチャーオ! naruです。

ホイアンを駆け足でまわり、ベトナムで最後に目指したのはホーチミン。旧市名はサイゴンで、ベトナム一の都会です。都会はどの国も画一的になりがちですが、どうしてもここに来たかったのは、ベトナム戦争の史跡や博物館をまわりたかったからでした。

市内では戦争証跡博物館、郊外ではゲリラ戦が繰り広げられたクチの地下トンネルを見に行きます。

クチはバスで約1時間ほどかかりますが、英語ガイド付き半日ツアーで5ドル+入場料90000ドン(合計約950円)と格安で嬉しい限り♪ ホーチミンの安宿街ブイビエン通りにある宿から歩いて1〜2分の老舗トラベルエージェンシーで翌日のツアーに申し込みを済ませたあと、午後は統一会堂と戦争証跡博物館へ行きました。

統一会堂

博物館まで向かう途中に位置する、ベトナム戦争時代までの旧大統領官邸「統一会堂」。今でも国賓を迎える際などに使われる部屋を、実際に見ることができます。

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こんな部屋がいくつもあって、とってもきらびやか。

上の階には大統領家族の私邸スペースもあります。 扉を開けると公用スペースとは全く違うゆったりとした空気が流れていてすごく住みやすそう。ダイニングルームや寝室が、中庭を囲むようにして並んでいます。

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でもここは南ベトナム時代の大統領官邸。
1975年4月30日、バルコニーから眺められる正面のユアン通りから解放軍の戦車がやってきて鉄柵を突破。無血入城し、ベトナム戦争は終わったのだそうです。ひたひたと迫る最後の時を、この場所から眺めていた心地を思うと震えます。

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そんな時代の舞台だけあって、地下へ降りると一変、じめっとした地下施設が残っています。暗号解読室やアメリカとの連絡施設、地下の大統領室は上階の大統領室とらせん階段で繋がっているようでした。

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とはいえ、ここは戦場になったわけではありません。

だから次の戦争証跡博物館に比べたら、全然生々しさはありませんでした。

 

戦争証跡博物館

展示されている写真やパネル見て思うのは、アメリカのえげつなさです。解放軍を匿ったり食料を提供する可能性があるからと、農村の食料は焼き払われて、村人は尋問されたり、連行されたり、殺されたりしました。中には、直視するのに勇気がいる写真もありました。

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ベトナムの地理を駆使する解放軍との戦いに「ジャングルが邪魔ならなくしてしまえばいい」という、ある意味とても合理的な考え方で撒いた枯葉剤の後遺症が、今も子どもたちに引き継がれていることを痛感する展示も。

思い出せばホーチミンにきてから、枯葉剤の影響を受けているのかなという人を見かけることが増えてきたような。

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枯葉剤に含まれる強いダイオキシンが人にどう影響するか。

アメリカが知らなかったとは考えにくい。

館内は撮影可だったんですが、見るだけで精一杯で、写真がなくてごめんなさい(´・_・`)

 

ちなみにベトナム戦争に至るまでの経緯は、だいたいこんな感じのよう。

1882年にフランスがベトナムを実質植民地化。

反フランス独立運動が起こる。

第二次世界大戦でフランスと日本の二重支配に。

日本敗戦。

北部は中国、南部はイギリスが日本の武装解除を行うはずが、イギリスの支援で再び南部はフランスが支配。北ベトナムはなんてこったということで、フランスと戦争開始。

フランス国内の経済悪化で、フランスが休戦交渉を提案。北ベトナムは知らんがなってことで拒否。このころからフランスのアメリカ依存が強まる。

中国とソ連が北ベトナムを国家として承認。それをうけて、アメリカは南のフランス傀儡政権を国家として承認。冷戦の構図……。

1954年、ディエンビエンフーの戦いでフランス敗退。ジュネーブ会議で停戦が決まるも、南北の軍事境界線がひかれベトナムは分断。

国家統一をめざす北ベトナムはなんでやねんってことで、フランスに代わってやってきたアメリカに1960年宣戦布告。

ベトナム戦争開始。

 

もとを辿ればフランス、イギリスも加担しているんですね。日本も要因の一つと言えなくもなく、なんだか自分の国の欲深さを見せつけられる気持ちで心苦しいです。いま優しくしてくれるベトナム人に感謝!

まだ救いだったのは、このころ各国の従軍カメラマンたちが、ベトナムで起こっていた悲惨な現実を写真で世界に伝えてくれたこと。おかげで海外だけじゃなくアメリカ国内でも反戦運動が起こることになったし、こうして戦争を知らない私たちも、その悲劇を学ぶことができます。
またベトナムという国も、戦後間もないうちから、負の遺産を積極的に残していこうという姿勢がすごい。

明日もそんな観光スポットのひとつ、解放軍が潜んだクチの地下トンネルを見に行きます。

 

ベトナム国内のトラベルエージェントについて

旅行社はたくさんありますが、クチに行くにあたり、私たちは迷わず「Sinh Tourist(旧Sinh Cafe)」を選びました。ここはベトナムを旅するバックパッカーに絶大な支持をうける旅行社で、ハノイでは偽物店がわんさかあるほどです。ハノイではホテル併設の旅行社で申し込んだ私たちですが、手配されたバスやホテルに疑問を抱く部分もあり、やっぱり大手かなと思ってしまったのでした。特にホーチミンのSinh Touristはとてもきれいで効率化されていて、安心できます。

  • 出発場所が明確
  • 出発が時間通り
  • 座席指定がある
  • 乗るバスのナンバー指定がある
  • お手拭きやペットボトル水サービスまで!

乗車場所までバンを乗り継ぎあちこちたらい回しにされたり、1時間以上の遅れは普通だったり、そもそもどのバスに乗るのか分からなかったり、乗客の中で席取り戦争が勃発したりしたのがウソのような快適さでした。

日本とは違う不自由さに一喜一憂するのも旅の醍醐味だけど、同じような値段を払ってあえて選ぶものでもないかなと、私は思います。

※私たちがお願いしたのはクチツアーと、このあと利用したカンボジアまでの国際バスです。どちらも半日程度のものなので、寝台バスなどはもしかしたら少し違う可能性はあります。座席指定はあるようなことを聞きました。

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DSC05097ツアーごとの配車状況がディスプレイで確認できるなんて奇跡!

 

 

 

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